わ大でのクイア理論入門特別講義、終了。
まあ、あんなもんかな。学生が少なかったので、やりやすかったのは良かったけれども、あの人数だったらレクチャーじゃなくてゼミ形式でいろいろやった方が学生にはとっつきが良かったかな。でも「生物学的性差は構築されている」という主張はやはり抵抗がある模様。まあ、イギリスでもがんがん理論をやってきた教授が理解していなかったりしたこともあったし、あれだけの短い時間で納得してもらうのは難しかったかもしれない。性器の差異や何かが存在しないというわけじゃないんだよ、と念を押してはおいたけれども、そこらへん誤解している人がいそうで心配。
でも、楽しかったです。また呼んで下さい。
トイレ記号はうまく機能しました。下ネタはイギリスでは確実に食いつきが良いのだが、日本でもトイレ標識くらいまでなら引かれずにすむのね、ということを認識。質疑応答で、「じゃあ、トイレはどうすればいいいんだ」というべたな展開になる。べただけど、難しいんだよね。「小便器がないと不便」とか言い出す学生もいたし。いや、でもね、お家にはないでしょ?(まあ、あるお家も時々あるけど)
ただ、年配の教授から「トイレを分けないのはやはり危険」コメントが出て、一歩も引かない。うーん。危険と言っても、トイレを分けていることで危険が減っているのかどうか、統計でもあるんでしょうか。まあ、トイレに関しては気持ちとして不安があるのはわからないでもないんだけれども(やっぱりプライベートな上に無防備な時間だしね、トイレですごす時間っていうのは)、だからといって、いきなり「痴漢対策女性車両」を引き合いに出されてもなあ。私はあれは長期的に見て逆効果だと思っているので、それを使って「トイレも分けるべきでしょ」と私を説得しようとしても、それこそ逆効果です。
ちなみに、不安と言えば、知り合いのイギリス人男性が、トイレでオトコ同士がくっちゃべるのがなんか落ち着かなくてやりきれないとこぼしていたのを思い出す。「日本ではやらないでしょ?」と言われたって、私は小便器で並んで用をたした経験がないから分かりませんってば。でも、確かにイギリスの大学では、女性トイレでも、キュービクルに入ってそれぞれ用を足しながら、元気いっぱいおしゃべりを続けている学生が珍しくなくて、度肝を抜かれたもんだけど。なんなんだ、あれ?
っていうか、用くらい黙って静かにたそうよ。