カミングアウトというのは、一般的にはセクシュアルマイノリティがそれまでは隠していた自分のセクシュアリティを公にすることを言うわけなのだけれども、
「ヘテロとしてカミングアウトする」という記事がAdvocateに載っていた。
ある特定の集団において「あの人は(私たち<みんな>と同じように)××だろう」と勝手に決めてかかられているのに対して「いや実はそうじゃなくって、私は##なんですよね」と言ってのけるのが「カミングアウト」だとすれば、確かに「ヘテロとしてカミングアウトする」ことは可能だし、それが必要な場合もある。
ヘテロセクシュアルのAlison Burnettという作家がゲイ男性を語り手にした
Christopherという小説を書いたところ、これが非常に高い評価を得た。ところが、どうやら、編集者からコミュニティーにいたるまで、当然のように、Burnettはゲイ男性だと信じ込んでいるらしい。エージェントのアドバイスもあって、とりあえず「自分はゲイじゃないです」とは「言わないでおく」ことにした。嘘はついていない。でも、本当のことを言ってもいない。有名な米軍のDon't ask, don't tellの方向性をとっちゃえ!というわけ。本を宣伝しなくてはいけないけれども、「ゲイ・フィクション」だと考えられている本の宣伝は「ゲイ系」でしかしてくれない以上、「自分はゲイじゃありません」と言うことで、作品の可能性をあらかじめ閉ざしてしまうのが嫌だったらしい。
Burnettは結局、こういう「クローゼット」の居心地の悪さに耐え切れなくなって「カムアウト」することになった、と述べている。
Burnettが「嘘をついた」と責めることもできるのだろうけれども、私には彼の立場はなんとなく理解できる。なんとなくというのは、実際のところ私はアメリカの出版業界の事情が知らないからであって、もしも彼がこのコラムで書いているように、「ゲイ系」の作品は「ゲイ作家」のものとして受容されるのが一般的であるのだとすれば、彼の気持ちはとてもよくわかる。「作家のアイデンティティと作品とは別なはず」だから「いちいちカムアウトする必要はない」と思いつつやっぱり最後はカムアウトする、というところまで含めて、よくわかる。
もちろん、ヘテロとしてのクローゼットというのは、ゲイとしてのクローゼットに対して、一般的に言ったら比べ物にならないくらい楽なはずだ。カムアウトしたからと言って(あるいはアウティングされたからと言って)生きていけないようなバッシングをくらうことはないだろうし、家族や友人と断絶してしまうかもしれないという恐れも(普通は)ない。
それでも、「ヘテロのカムアウト」には「ヘテロのカムアウト」なりの困難があるだろう。
私はヘテロとしてカムアウトしたことはないけれども、「レズビアンではない」とカムアウトしたことは、何度もある。何をレズビアンと言うのかは人それぞれなんだろうけれども、私のような人間を「レズビアン」とは呼ばない「レズビアン」がいることを知っているから、セクシュアル・マイノリティであることをオープンにしている人とセクシュアリティ系の話をするときには、私はとりあえず「自分はレズビアンではないですよ」と言っておくことが多い。
で、これはなんとなく居心地が悪い。自分で「ヘテロではない」と思っているからなのか、私の普段の言動やら反応やらは「ヘテロじゃない」メッセージを出してしまうことがある、らしい。仕事が「ジェンダー/セクシュアリティ・スタディーズという分野での研究者」だし。そうすると、相手がセクシュアル・マイノリティである場合には、「この人はセクシュアル・マイノリティだな」と思ってくれる(らしい)場合があって、それはとても私的には正しい読みなのだけれども、そこから「この人はレズビアンなのだな」とつなげてしまう(らしい)場合もあって、それはとても間違えた読みだったりする。
相手が自分のセクシュアリティをオープンにしている場合に、こちらだけがDon't ask, don't tellごっこをしているのも非常に気がとがめるので、とりあえずあらかじめ「違いますよ」と警告を出しておくようになってしまったのだけれども、この作業は何回行っても不安だし、緊張する。
「自分がレズビアンじゃないと言っても、この相手は私の仕事を/発言を/人間を(<オーバー)、額面通りにまじめに受け取ってくれるだろうか」
ばかばかしいんだけれども。
でも、これはまさしく「カムアウト」の不安に他ならない。
さらに、ゲイ/レズビアンの「カムアウト」に際してよく言われるのが、カムアウトは遅すぎるか早すぎるかどちらかでしかありえないという「罠」なのだが、これは「~ではないです」カムアウトに際しても、結構そのままに通用する。つまり、「私はゲイなんです」と言ってみると、「どうして今まで黙っていたんだ!騙された!」と責められる(カムアウトが遅すぎる)、あるいは「そんなこと一々言われるような仲じゃないのに、どうしてそんなこと言うんです?興味ないんですけど?」とあしらわれる(カムアウトが早すぎる)、そのどちらかになってしまう。それと同じことが、「ではないんですカムアウト」でも成立することが多い。
「ああ、そうなんだ。(冷たい視線。以後シャットアウト)」<遅すぎ
「ああ、そうなんだ。(退屈しきった視線。そのまま流される)」<早すぎ
知人に、「そんなことを一々言ってどうするの?そうやって自分は違いますって言うのって、問題じゃない?」と言われたこともある。はい。その通りです。そんなこといちいち知りたくもない人も多いだろうし、「自分はレズビアンじゃありませんよ」と言うこいつの意図は一体なんなんだよと思われたとしても、ごもっとも。
でも、言わないでおくと、騙したくない人を結果として騙すことになる場合もあるし。
もちろん相手は騙されてはいないかもしれないから、相手が「騙されているだろう」と勝手に決め付けるのは失礼なのだけれども、でも、もし実際に騙されちゃっていたらどうするのか。あとでごたごたするくらいなら、先にすっきりした方がいい。ある意味、リスク管理の問題だ。
ただ、「レズビアンではないです」とカムアウトすると、「じゃあヘテロかバイか」と言わなくてはならない気分になることもあって、そのどちらにもアイデンティファイしない私としてはこれまたなんだか居心地が悪かったりもする。いや、別に「はっきりしろ」と迫られたことがあるわけじゃないから、自分で勝手に居心地が悪くなってるだけではあるのだけれど。自意識過剰ってやつですか。
というより、「ヘテロなんだな」と思われてしまうと、これまたなんだか悔しい。だって違うのに~!みたいな。クィアだ何だと言っても、セクシュアリティは「ホモかヘテロか(良くてこれにバイが加わる程度)」という「アイデンティティ」としてはっきりさせられちゃうところがまだまだあって、現実生活でそれにどう対応すればいいのかが微妙にわかっていない、へたれ「専門家」のわたくし。そういうところで自己嫌悪ファクターも全開で、とても厄介でございますわ!(泣)
とりあえず、相手のセクシュアリティがわかっていない状況では「一般的に男性には興味はないんですよ」と言ったりしておくんですけれどもね。まあ、本当のことだし。実はこれってレズビアンだけじゃなくて、バイセクシュアルやヘテロセクシュアルの女性ほとんどにもあてはまると思うんだけれど。「一般的に男性に興味がある」なんて人、見たことないし。