熱をおして、これもオシゴトのうちと思って(というよりチケット代高かったから勿体ないし、という理由がメインだったり)、見てきました。ピナ・バウシュの
「バンドネオン」。
実はこれが初ぴなばうしゅで、うわさは聞くものの今まではそうそうお金がなかったりもして(言い訳)見ていなかったので、どうやら有名であるらしい演目の再演であるらしいということで、新作ではなくてこちらを選択。
とにかく長い。で、ダンスなので詳しく説明するボキャブラリーもなし、説明できる気持ちもしないのだけれど、前半は「わたくしにはダンスは無理です。わかりません(涙)」という絶望とやけっぱちと退屈と眠気とに交互に襲われ続ける。ところが後半になったらそこそこに面白い。少なくとも「バジャイナ・モノローグス」よりは140倍以上、良い。そんな比較をすること自体、全国と世界のピナ・バウシュファンからウェブ越しに重めで固めのモノを手当たり次第投げつけられそうだけれど。
で、ダンスというのは全然分かりませんということをとりあえず表明した上で。
「バンドネオン」を見終わって、私は、これが何についてのダンスなのかちょっとだけ分かった、と思ったのだ。
見ている側が絶望するくらいの遅い速度で延々と繰り返されるタンゴ風のダンス。いわゆる「情熱」とかその「噴出」だとかを意図的に封印するような、無表情で型にはまった、愛の動き。「ダンス」なるものを成立させるための「型の習得」と「身体の変形」の必要性が、つまり、身体からあふれ出てくるはずの「感情表現」とは実は不自然な「型」として暴力的に「習得」されているのだということが強調され、パフォーマンス」へのオベーションとそれに対する反応すら、何の感情も感慨もない一つの身体的なコンベンション(因習)として前景化される。そして、「感情の表現」であるはずのそれらの幾つものコンベンションの裏に響き渡る苦痛と絶望の叫び声に対する、完全な無関心と抑圧。
私には、このダンスは、「ダンス」、「パフォーマンス」、あるいはより広く身体表現全般を成立させている制度性に焦点をあてたものだと思えたのだった。ここでの「身体表現」には、たとえば愛の身振り、たとえば称賛や羞恥の身振りと言った、私たちの日常生活を構成している「みぶり」全般が入ってくるだろうし、さらには、それらの身振りによって伝達されているはずの私たちの「感情」そのものが、問題になってくるだろう。そもそも「表現」という用語が選択されること自体が、「表現されるべきこと」の存在をこっそりと前提として共有させるための罠であって、このダンスで執拗に強調されていることの一つは、そのような「表現されるべきこと」が、そもそも身体を暴力的につくりあげていくコンベンションによってのみ、生み出されうるということだ。
そのようなコンベンションを破壊するのではなくて、それに従いつつ(結局のところ、これは「ダンス」であり、しかもかなり高額な入場料を支払わなくては見られない「ダンス」なのだ)、そこに一種の亀裂を生じさせる。まぁ、なんて「ぽすともだーん」なの!
実際に、これがあくまで「ダンス」であるからこそ、「ダンス」というコンベンションの制度性がひたすらに明らかにされていく過程で、私たちはこの特定の制度を維持させるための苦痛にたじろぎ、観客としての自らの共犯性に居心地の悪い思いをし、そしてラストで拍手を送る自らの能天気さに一瞬ためらいを覚えるのであり、身体のコンベンションのもたらす苦痛をこっそりと連れ帰って、自分たちの経験においてその苦痛の呼びかけに応える「何か」の存在に、おそるおそる触れてみたりしないではいられない。
コンベンションなんてくそ食らえというのではなく、コンベンションしかないことを重ねて確認しつづける、その痛みと哀しみの強度。そしてその痛みと哀しみを手放さないことがもたらす、コンベンションへのひそやかな不服従。
さらに、男性ダンサーと女性ダンサーとの「痛み」の表明が明らかに異なること、振り当てられた役割の違いなどもあって、この、性と身体と身振りをめぐるコンベンションにジェンダーの差異が作用していることも示唆されていたのだけれど、フェミとしては非常に情けないことに、私はこちらは明確に分析することができなかった。
でも、何のかのと言いつつ、長いだの眠いだのと文句たれつつ、わたくしはすっかり好きだったのだ。「バンドネオン」。もちろん、こういう「分析」で全てだという言うわけではないし、それだけだったら論文でも読むほうが早いのだけれども、実際に、そのあたりでちょっと落ち着かないというのか、心の痛む鑑賞経験をして、さすがに評価が高いパフォーマンスには、素人でも心がゆれるものであるなあ、などと思っていたのだ。
ところが。
お家に帰ってちょっとウェブを見てみたりとか、思わず買ってしまったパンフレットを眺めたりした結果、分かったこと。
「バンドネオン」は全然そういうダンスではないらしい(泣。
##抑えきれない官能の爆発が見たことのないタンゴとなり、バンドネオンが人の心をかきむしり、人生の喜びと悲しみの波が立ち現れます。タンゴを踊りに集まった人々のまわりに悲しみと嘆きが湧き起こり、愛の渇望が異様にデフォルメされ、タンゴの情念が身体を貫通する舞台です。視覚的にも強力なものであり、手の動きや、腕に宿る力を見るだけでもすばらしい作品です。
##タンゴを座って踊り、パートナー達は孤独とあこがれを含んだ親密な関係を表現する。女性は男性の曲げた腕にまたがり魔法にかけられたように男性の腰にまとわりつき、死に物狂いにつかまり運ばれるままにまかす。欲望が満たされ、快楽はきわまり悲しみを生むことになる。
「抑えきれない官能の爆発」なのかい!
「渇望」や「情念」なのかい!
「欲望と快楽」なのかい!
私は一体なんのダンスを見ていたのでしょうか!
結論:わたくしには全然ダンスはわかりません。というより、それだけのダンスだったら、正直に言って見に行かなくても良いかも。